はじまりは江戸時代 「陣屋」は江戸時代、山陽道(西国街道)に面した、姫路藩の藩役所(加古川役所)として宝暦2年(1752)3月18日の建造と伝えられ、参勤交代のために加古川宿を通行、宿泊する大名に対する応接などに使われていました。現在、建物内部は良好に残っており、江戸時代の加古川宿の面影をのこす建物として大事に管理されています。
参勤交代の時の宿本陣・脇本陣 加古川宿が画期的ににぎわうようになったのは、江戸時代参勤交代制が始まった頃です。幕府は五里ごとに本宿を定め、中間に間宿(あいじゅく)を定め本陣・脇本陣を置きました。藩主近臣は本陣に、重役以下は脇本陣、その他の家に泊まりました。加古川宿本陣は寺家町組大庄屋「中谷家」であり、然清家には表通り二十八間、奥行き二十間の膨大な敷地をほこり、その場所は現在の寺家町商店街丹安商店明石屋本店から玉岡路三郎邸までと言われています。
明治天皇も休憩 明治一八年には明治天皇が休憩場所として利用されました。松の盆栽を陳列していたことから「樹悳堂」(じゅとくどう)と天皇が名付けられたという由来もあります。「樹悳堂」は寺家町商店街「人形の陣屋」と「沼田商店」の間の奥に現存し、平成10年1月8日、市の指定文化祭に選出されました。明治四十三年に御駐輦(ちゅうれん)を記念してという「駐輦之處」碑が建てられました。この碑文は大内青巒という東京都知事が撰んだそうです。